あぁ、そういえば。

5泊6日の滞在制作の予定が、3日目の朝おじさんが亡くなったと連絡が入る。
家族は帰郷しなくていいと言ってくれたが、色々と気になり、まったく制作に身が入らず、
下地を塗った後、ひたすら表面のやすりがけをするのが精一杯だった。
夜行バスにて群馬県~大阪へ向かう。少し仮眠した後、お通夜へ。
叔父は亡き父の弟さん、父の亡くなった年齢、ガン、心臓がパタッと止まってしまった最期もよくにていた。
通夜の後は火守をするべく姉、いとこ達と共に朝まで静かに過ごす。
と思いきや、午前2時頃、姉の息子が救急車で運ばれたと連絡がくる。
慌てて病院へ。幸い大事には至らなかったが、1時間程点滴が終わるのを待った。
その後、再び火守に戻ったら、従妹に叔父の顔を描いて欲しいと言われる。
本当はひどく疲れていて、集中力を持って描くのは難しいと思ったが、
振り絞って鉛筆画を描いた。
人物画はそれほど得意ではないし、さらっと描けないので結局1時間ほど集中して細密に描いた。
ひ、干からびた・・・。
けど、従妹がとても喜んでくれたので良かった。
最期の姿を覚えておきたいけど写真は抵抗があったようだ。
お役にたてて良かった。
でもね、きみの描いたおっちゃんの似顔絵もステキだったよ。
午前5時半、気絶(するように眠りについた)。
お葬式、最期のお別れはやっぱり悲しい。
自分が悲しいというより、叔父の家族の思いや、叔父に心残りがあったのでは、という思い。
お花を手向け、孫や親族が思い出の品を納めた。
通夜から骨上げまで、父の時の事を思い出していた。
もう14年前になるかな、ダメージが大きかったせいか記憶があいまいで、
覚えていない事がたくさんある。
あの時は号泣しすぎて目に霞がかかったようになって長時間前が見えなくなった。
父がいたから、色んな意味で留まってこれたんだと思う。
その後、美術に出会ってなかったらワタシどうなってたんだろう、とたまに思う。
あぁそういえば、モチーフをクローズアップして描き始めたのも、
父がガンになった事と関わっている。
ガンって、細胞が再生する際に組み換えに異変が起こったり、
生体の細胞がコントロールを失って無制限に増殖するようになったものなんだそうで、
その時私は自身の細胞の一部だからそれだけ取り除くって難しいのね、とか、
人間って細胞の集まりなのね、という事を強く認識した。
それ以降、花や野菜をじーっと見ては、種や葉脈の秩序が狂っているところを探してみたり。
たとえば、ぶなしめじを見た時などは、同じ様な丸い集まりだと思っていたのにみんな違う形、
双子がいたりして、人間もその他の生物も細胞の集まりなんだと思った。
幼少の頃、幾度となく骨上げに連れて行かれ、火葬場で人が骨に変わる姿を見てきた。
刺激が強すぎたとかはなく、ごく自然に。
母方の田舎の風習では、屈葬や土葬が行われてきたので、土に埋められる故人を傍観し、
幼心に、人は死んだら骨になったり土に還るんだとあたりまえのように受け入れてきた。
それでも父を亡くした時の喪失感は大きかった。
そんな思いがあるので、誰かが誰かの大切な人を亡くしたと見聞きしたりするととても悲しくなる。
おとうさん、おじちゃんと会えたかな。

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