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長らく日記更新を怠っていました。
バイトもしたりなんかしてちょっと忙しかったです。

先週、3泊4日で中之条へ行ってきました。
本格的に制作に入る前の準備です。
制作現場&展示会場となる旧廣盛酒造は2階建てでとても広いスペース。
私の展示場所は1階正面の壁(約10M)と2階へあがる階段の踊り場です。
まずはじめに取り掛かったのは、掃除!
とにかく砂埃がすごかったのでひたすらモップがけをして腕がばんばんに・・・。

思った以上に広いスペースで、どう料理しようか未だ決めかねています。
当初は1820×910のパネルを10枚位ど~んと作ってしまおうかとも思ってたのですが、
たぶん変型パネルなども必要になってくると思うので、まず手始めに3つ作りました。
こんな大きなパネルを自作したのは初めて!これがまた重いのなんのって・・・。
でも、ひろ~いスペースに置いたら小さく感じます。
自宅だとマンションの一室が私のワーキングスペースなので、
そんな大きなパネルを寝かせるスペースなどありません。
こんなにも広い制作スペースが何よりもうれしくて、
ひとりあぶなくスキップしてしまったのでした。
めっちゃテンションあがった~。
何十年ぶりかのスキップ・・・。

いやいやそれにしても、掃除したりパネルしたりの作業に終始したにも関わらず、
何をやっても楽しくて楽しくてしょうがなかった。
中之条ビエンナーレの実行委員会や関係者の皆様にサポートして頂き感謝です。
旧廣盛酒造の向かいには地元の方が生活されている。
ごあいさつさせて頂きましたが、
とても感じの良い方でもっと仲良くなれたらいいな~と思いました。

こういった形で町に滞在して制作するのは初体験。
どうしていいか戸惑う事もありますが、いろんな事が新鮮で楽しい!
失敗を恐れず楽しんで真摯に制作したいと思います。
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15日の到着日はパネルを2枚作りました。
が、大きくて重いので16日に補強するべくネジ止めをしました。いやはや910×1820のパネルはなかなか手強い・・・。

下地作りをすませたら、デカパネルを5枚並べて、ひとつのイメージを作ろうと思います。
で、できるかな…

一枚パネルを作った時点であまりの重さに自信喪失。なぜなら制作過程でパネルを持ち上げたり下げたりしつつ蝋絵の具を流す操作をするのでこれはかなりの重労働。
うっ、手首がんばれ。

ある程度の事は想定できるが、やはり実際に作ってみないとわからない事はたくさんある。様々な問題に出くわすとそれをクリアする為に新しいアイデアが生まれる、そうやって少しづつ経験値をあげていく。

今日は会場のお当番をしてくださる婦人会の方々が40名以上見学にこられご挨拶をしました。ちょっと緊張しましたが顔会わせなどには極力参加したいと思います。

画像はドローイング。アイディアを描きとめる。
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5泊6日の滞在制作の予定が、3日目の朝おじさんが亡くなったと連絡が入る。
家族は帰郷しなくていいと言ってくれたが、色々と気になり、まったく制作に身が入らず、
下地を塗った後、ひたすら表面のやすりがけをするのが精一杯だった。

夜行バスにて群馬県~大阪へ向かう。少し仮眠した後、お通夜へ。
叔父は亡き父の弟さん、父の亡くなった年齢、ガン、心臓がパタッと止まってしまった最期もよくにていた。

通夜の後は火守をするべく姉、いとこ達と共に朝まで静かに過ごす。
と思いきや、午前2時頃、姉の息子が救急車で運ばれたと連絡がくる。
慌てて病院へ。幸い大事には至らなかったが、1時間程点滴が終わるのを待った。
その後、再び火守に戻ったら、従妹に叔父の顔を描いて欲しいと言われる。
本当はひどく疲れていて、集中力を持って描くのは難しいと思ったが、
振り絞って鉛筆画を描いた。
人物画はそれほど得意ではないし、さらっと描けないので結局1時間ほど集中して細密に描いた。

ひ、干からびた・・・。

けど、従妹がとても喜んでくれたので良かった。
最期の姿を覚えておきたいけど写真は抵抗があったようだ。
お役にたてて良かった。
でもね、きみの描いたおっちゃんの似顔絵もステキだったよ。
午前5時半、気絶(するように眠りについた)。

お葬式、最期のお別れはやっぱり悲しい。
自分が悲しいというより、叔父の家族の思いや、叔父に心残りがあったのでは、という思い。
お花を手向け、孫や親族が思い出の品を納めた。

通夜から骨上げまで、父の時の事を思い出していた。
もう14年前になるかな、ダメージが大きかったせいか記憶があいまいで、
覚えていない事がたくさんある。
あの時は号泣しすぎて目に霞がかかったようになって長時間前が見えなくなった。
父がいたから、色んな意味で留まってこれたんだと思う。
その後、美術に出会ってなかったらワタシどうなってたんだろう、とたまに思う。

あぁそういえば、モチーフをクローズアップして描き始めたのも、
父がガンになった事と関わっている。
ガンって、細胞が再生する際に組み換えに異変が起こったり、
生体の細胞がコントロールを失って無制限に増殖するようになったものなんだそうで、
その時私は自身の細胞の一部だからそれだけ取り除くって難しいのね、とか、
人間って細胞の集まりなのね、という事を強く認識した。

それ以降、花や野菜をじーっと見ては、種や葉脈の秩序が狂っているところを探してみたり。
たとえば、ぶなしめじを見た時などは、同じ様な丸い集まりだと思っていたのにみんな違う形、
双子がいたりして、人間もその他の生物も細胞の集まりなんだと思った。

幼少の頃、幾度となく骨上げに連れて行かれ、火葬場で人が骨に変わる姿を見てきた。
刺激が強すぎたとかはなく、ごく自然に。
母方の田舎の風習では、屈葬や土葬が行われてきたので、土に埋められる故人を傍観し、
幼心に、人は死んだら骨になったり土に還るんだとあたりまえのように受け入れてきた。
それでも父を亡くした時の喪失感は大きかった。
そんな思いがあるので、誰かが誰かの大切な人を亡くしたと見聞きしたりするととても悲しくなる。

おとうさん、おじちゃんと会えたかな。