中之条ビエンナーレ2011 旧廣盛酒造 階段

階段部分にも展示しています。
17日のアーティストトークは無事終了。
時間を共有して下さった皆様、ありがとうございました。
きんちょうしたなー、マイクを持つ手がブルブル震えて、
止めようとしても止まらなくて、
そんな自分にウケタ。
コンセプトのあたりで耐えきれず
あ″ーーーーーってなって、深呼吸してみたり。
緊張するタイプに見えないって言われるけど、気ちっちゃいのー。
お客さんも一緒に笑ってくれて
スタッフの方が水を入れてくれて
入り口付近にいた別のスタッフの方は緊張をほぐそうと変な動きをしてみせてくれて
作家仲間は関西弁で!と声をかけてくれて
それでやっと落ち着いて話ができて。
しどろもどろになった部分もあったけれど、
楽しかったと言ってもらえたので、いいことにしておこう・・・。
このシリーズは制作過程を理解してもらうと、やろうとしている事への理解がより深まると思う。
制作過程を撮影して会場で流すというのをやるべきだったな。
次回に持ち越しですね。

中之条ビエンナーレ 2011 旧廣盛酒造

こんな感じで展示しています。
大きなパネルに描いたエンコウスティック(蜜蝋画)と、
紙にマーブリングしたものをハニカムボードに貼って、その上からエンコウスティックで描いた
もの。
会場にいると、近所のおじぃちゃんやおばぁちゃんが続々と見に来てくれる。
他の地元の方々や来場者の方、他の作家さんともたくさんお話ができて
なーんか楽しいな。
今週末は台風が来てしまって、ビエンナーレ会場が閉鎖されてしまい。
町のみなさんや、作品や色んな事が心配。
大きな被害が出ない事を祈るばかりです。
来週末は中之条へGo Go!
作品のメンテナンスと展示の補強をしたり、会場をフラフラしたり、
仲間と笑い合ったり、おいしいもの食べたりする予定。
そうそう、tsumuji 近くの薬局のおじちゃんに、
風邪治ったよーってお礼を言いにゆこう。

中之条ビエンナーレ始まりました!

東京と群馬を行ったり来たりしつつ現場でひたすら制作し、ついに開幕となった。
これまで描いた事のない大きな画面、わずかな緊張と高揚感を伴わせ描き始めた日が蘇る。
森にあるレジデンス施設に寝泊まりし、新しく出会った仲間達と寝食を共にした。
団体生活などほとんど経験したことはないし、大丈夫かなと危惧していたけれど
毎日が楽しく、ころころと笑い合い、時には熱く語り合った。
制作の事だけを考え、日々町の人たちと言葉を交わし、朝から晩まで制作に打ち込んだ。
美しい里山。
レジデンスの鍵にはクマ除けの鈴がついていたり、イノシシに出会わないよう、
山ヒルに血を吸われないよう警戒しながらも、
様々な生命が生息するこの場所がかけがえのない豊かな場所に思えた。
大きく白い腹の蛾は美しく。
暗い夜空にひときわ輝く月と星、そして虫の音色。
縦横無尽にはしる稲光。
数え切れないほどのホタル。
源氏ボタルと平家ボタルが行き交う幻想的な光景は、この先一生忘れる事はないだろう。
空へとのぼるほのかな光を目で追うと無数の星と入り混じる。
闇が深い木々の合間に見る光はより強い。
森にたちこめる霧。
木々や草花にかかるミスト、グレーの諧調がいったいどれくらいあるのか。
その場で体感した匂い、音、そして色が私の内側にしみ込んでいった。
滞在する日が長引くにつれ、町の人たちが私の存在を知る。
私のわずかな体調の変化にさえ気付いてくれる。
優しい言葉とさりげない気遣い。
些細な日々の出来事が私の日常をつくり制作に影響を与える。
縁もゆかりもなかったこの町は、親しい友人が居る場所になり
おかえりといってもらえる場所になった。
あわせて45日間滞在した。
この先も途切れはしない絆ができたと確信している。
http://www.bi-ku.com/nakanojo/index.html

あぁ、そういえば。

5泊6日の滞在制作の予定が、3日目の朝おじさんが亡くなったと連絡が入る。
家族は帰郷しなくていいと言ってくれたが、色々と気になり、まったく制作に身が入らず、
下地を塗った後、ひたすら表面のやすりがけをするのが精一杯だった。
夜行バスにて群馬県~大阪へ向かう。少し仮眠した後、お通夜へ。
叔父は亡き父の弟さん、父の亡くなった年齢、ガン、心臓がパタッと止まってしまった最期もよくにていた。
通夜の後は火守をするべく姉、いとこ達と共に朝まで静かに過ごす。
と思いきや、午前2時頃、姉の息子が救急車で運ばれたと連絡がくる。
慌てて病院へ。幸い大事には至らなかったが、1時間程点滴が終わるのを待った。
その後、再び火守に戻ったら、従妹に叔父の顔を描いて欲しいと言われる。
本当はひどく疲れていて、集中力を持って描くのは難しいと思ったが、
振り絞って鉛筆画を描いた。
人物画はそれほど得意ではないし、さらっと描けないので結局1時間ほど集中して細密に描いた。
ひ、干からびた・・・。
けど、従妹がとても喜んでくれたので良かった。
最期の姿を覚えておきたいけど写真は抵抗があったようだ。
お役にたてて良かった。
でもね、きみの描いたおっちゃんの似顔絵もステキだったよ。
午前5時半、気絶(するように眠りについた)。
お葬式、最期のお別れはやっぱり悲しい。
自分が悲しいというより、叔父の家族の思いや、叔父に心残りがあったのでは、という思い。
お花を手向け、孫や親族が思い出の品を納めた。
通夜から骨上げまで、父の時の事を思い出していた。
もう14年前になるかな、ダメージが大きかったせいか記憶があいまいで、
覚えていない事がたくさんある。
あの時は号泣しすぎて目に霞がかかったようになって長時間前が見えなくなった。
父がいたから、色んな意味で留まってこれたんだと思う。
その後、美術に出会ってなかったらワタシどうなってたんだろう、とたまに思う。
あぁそういえば、モチーフをクローズアップして描き始めたのも、
父がガンになった事と関わっている。
ガンって、細胞が再生する際に組み換えに異変が起こったり、
生体の細胞がコントロールを失って無制限に増殖するようになったものなんだそうで、
その時私は自身の細胞の一部だからそれだけ取り除くって難しいのね、とか、
人間って細胞の集まりなのね、という事を強く認識した。
それ以降、花や野菜をじーっと見ては、種や葉脈の秩序が狂っているところを探してみたり。
たとえば、ぶなしめじを見た時などは、同じ様な丸い集まりだと思っていたのにみんな違う形、
双子がいたりして、人間もその他の生物も細胞の集まりなんだと思った。
幼少の頃、幾度となく骨上げに連れて行かれ、火葬場で人が骨に変わる姿を見てきた。
刺激が強すぎたとかはなく、ごく自然に。
母方の田舎の風習では、屈葬や土葬が行われてきたので、土に埋められる故人を傍観し、
幼心に、人は死んだら骨になったり土に還るんだとあたりまえのように受け入れてきた。
それでも父を亡くした時の喪失感は大きかった。
そんな思いがあるので、誰かが誰かの大切な人を亡くしたと見聞きしたりするととても悲しくなる。
おとうさん、おじちゃんと会えたかな。

中之条へ来ています。

15日の到着日はパネルを2枚作りました。
が、大きくて重いので16日に補強するべくネジ止めをしました。いやはや910×1820のパネルはなかなか手強い・・・。
下地作りをすませたら、デカパネルを5枚並べて、ひとつのイメージを作ろうと思います。
で、できるかな…
一枚パネルを作った時点であまりの重さに自信喪失。なぜなら制作過程でパネルを持ち上げたり下げたりしつつ蝋絵の具を流す操作をするのでこれはかなりの重労働。
うっ、手首がんばれ。
ある程度の事は想定できるが、やはり実際に作ってみないとわからない事はたくさんある。様々な問題に出くわすとそれをクリアする為に新しいアイデアが生まれる、そうやって少しづつ経験値をあげていく。
今日は会場のお当番をしてくださる婦人会の方々が40名以上見学にこられご挨拶をしました。ちょっと緊張しましたが顔会わせなどには極力参加したいと思います。
画像はドローイング。アイディアを描きとめる。

おもわずスキップ。

長らく日記更新を怠っていました。
バイトもしたりなんかしてちょっと忙しかったです。
先週、3泊4日で中之条へ行ってきました。
本格的に制作に入る前の準備です。
制作現場&展示会場となる旧廣盛酒造は2階建てでとても広いスペース。
私の展示場所は1階正面の壁(約10M)と2階へあがる階段の踊り場です。
まずはじめに取り掛かったのは、掃除!
とにかく砂埃がすごかったのでひたすらモップがけをして腕がばんばんに・・・。
思った以上に広いスペースで、どう料理しようか未だ決めかねています。
当初は1820×910のパネルを10枚位ど~んと作ってしまおうかとも思ってたのですが、
たぶん変型パネルなども必要になってくると思うので、まず手始めに3つ作りました。
こんな大きなパネルを自作したのは初めて!これがまた重いのなんのって・・・。
でも、ひろ~いスペースに置いたら小さく感じます。
自宅だとマンションの一室が私のワーキングスペースなので、
そんな大きなパネルを寝かせるスペースなどありません。
こんなにも広い制作スペースが何よりもうれしくて、
ひとりあぶなくスキップしてしまったのでした。
めっちゃテンションあがった~。
何十年ぶりかのスキップ・・・。
いやいやそれにしても、掃除したりパネルしたりの作業に終始したにも関わらず、
何をやっても楽しくて楽しくてしょうがなかった。
中之条ビエンナーレの実行委員会や関係者の皆様にサポートして頂き感謝です。
旧廣盛酒造の向かいには地元の方が生活されている。
ごあいさつさせて頂きましたが、
とても感じの良い方でもっと仲良くなれたらいいな~と思いました。
こういった形で町に滞在して制作するのは初体験。
どうしていいか戸惑う事もありますが、いろんな事が新鮮で楽しい!
失敗を恐れず楽しんで真摯に制作したいと思います。

よりいっそう特別になった桜の花。

今年の夏に参加予定の中之条ビエンナーレ、
展示スペースの確認と採寸をするために群馬県へ行ってきました。
のんびりゆらゆら
バスから眺める風景は静かで優しい。
ぼんやりしすぎて、うっかりすると
スキージーで絵具をひっぱったかのように
花や木の色、葉っぱの緑、空の青、家や人が混じり合って
横線になって流れてく。
伊香保温泉に差し掛かった頃だったか、満開の桜並木が見えた。
まわりの素朴な風景とあいまって、本当に美しかった。
空は抜けるように青く、無数の小さな花々は強い生命力を放っていた。
美しいと思える感覚と、胸のうづき、せつなさが入り混じった。
生と死、陰と陽、内と外、自己と他者
あらゆる二極をより強く感じ取れる。
生きる喜びを感じる時、そばに死が寄り添っている事を忘れない。
その感覚は震災前と変わりはしないが、よりいっそう強くなったと言える。

みんなみんなつながっている。

東京に戻り少し体調を崩してしまった。大地震直後の個展、心の整理もつかぬまま大阪入りし無事に展示は終えたけれど、胸のなかのもやもやが消えるはずもなく、知恵熱が出たかのようだ。
ま、風邪なんですけどね。
展示中に寄せられた感想を読んだり返却されてきた作品を整理しつつ、大阪個展での事を書こうと思っていても、日に日に変わりゆく国内外の様々な出来事によって、もうすでに遠い過去になってしまった。311以降、あらゆるものの見え方がまるで変わってしまった。大地にしっかり立っていると思っていた。それは幻想だったのか・・・。私達の足元は大きく揺らぎ、その揺れは小さくなるどころかますます大きくなってゆくとさえ感じる。いったいこの先どうなってしまうのか。あの日地震直後に空を覆った灰色の厚い雲はどこまでも続いていて、あっという間に日の光を隠してしまった。その暗い雲が泥色の大津波のように日本中の人を覆うのではないかとさえ思った。
困難な状況が矢継ぎ早に襲ってくると色々な場面で正しい判断がしづらくなりがちだが、自分の良心に基づいて決定するしかない。どうしていいかわからなくとも何度も何度も自身に問うて答えを探す。間違いを恐れて何もしないより、まず動いてみて何か違うと思えば軌道修正する。思考停止に陥らないようにしたい。
誰かの犠牲の上に成立つエネルギー、そんなものがあっていい訳がない。怒り、悲しみ、恐れ、多くの事象を知れば知るほど己の無知さを忌々しく思う。国や東電を責めてみても結局はそれを許してきた私達の責任でもある。海洋汚染の問題がでてきて、いよいよ日本は海外へ汚染を垂れ流す加害者となってしまった。
一人一人があらゆることに心を添わせて、自分の大切な人に降りかかっている事だと感じて、前を向いていけたら希望が見えてくるはず、そう信じたい。
海も空も人もみんなみんな繋がっている。
世界の隅々までくまなく、あらゆることが繋がっている。

予定通り在廊します。

こんな時ですが、関西の方はぜひいらして下さい。
画像の右側の作品はちびっこに大人気です。
これらの作品を見た私の甥っ子のセリフ
「下手くそやな~~~、何これ~~~」
と言いながら、気になるようで、なんだかんだ感想を述べます。お魚に見えたり、かえるに見えたり、はたまた他の小さなお客様は隕石、地球!などと楽しそうに教えてくれます。
帰省して以来、地元の友人や家族に元気をもらっています。大阪では関東での緊張感が嘘のよう。
ここまで温度差があるのか・・・と愕然としましたが、逆に関西は元気で、皆さんが普通の生活をおくられてる事に安堵しました。関東で実感したなんとも嫌な感じの暗雲、そこかしこにたちこめていてピーンと糸が張ったような感じ。その中でなんとか平常心を保とうとする人々。東北の方に比べたら・・・と不安な気持ちをがまんしてそれらを口にすることすら躊躇している。また私自身は関東の友人のことを思うと大阪にいる事すら申し訳なく思ってしまう。さらには甚大な被害を受けた方々のことを思うと、精一杯心を沿わせたいと思う気持ちがある一方で忍び寄る不安から家族を守りたいという思いを抱いてしまう。そう言った感情はごく自然とも言えるが、なんともいえない自己嫌悪と罪悪感がつきまとう。様々な困難な状況で、他者に思いやりを持とうと思えば心を強くもたなければ難しい。もちろん想像力もフル回転させて、すべての事象がつながっているという感覚を持っていたい。
今回の個展会場はホテルということもあって、外国のお客様とお話する機会がある。
少し話していると必ず励ましてくれる。
日本は素晴らしい国、大好きよ。
必ず復興できる。
と言った言葉をかけてくださる。
とてもありがたくて、胸が熱くなる・・・。

個展始まります。

開催するべきか自粛するべきか。
また、東京も混乱しているなか大阪に出向くべきか
大変悩みました。
日本中、世界中の人々がこの大災害に胸をひきさかれ
次々とおこる危機的な状況に不安をぬぐえず。
絶望したくなるような状況でも前を向こうと闘っています。
被災された方々のことを思うと誰もが何か私にもできることはないだろうかと思わずにはいれないでしょう。
サルトルの”百万人の飢えた子供の前で、文学はなんの役に立つのか?”という議論があります、急を要するものが何かもわかります。でも私にしかできないことは何だろうと考えた時、やはり作品を作ることが最大なのです。自分が受けとめたものを作品に昇華すること。今すぐ役に立たなくともいつか誰かの心に響く日がくるかもしれません。元気な私が歩を止めてはいけないとも思いました。
仙台に住む作家仲間が被災し、安否を心配しているなか、作品を求めてくれた彼女の言葉が頭のなかをぐるぐる巡った。
「ずっと欲しくてやっと手に入れました、これでパワーをもらえます」
一人でもそう思ってくれる人がいる。いい仕事をすることで私にしかできない貢献ができると信じてこれからも制作します。この大災害の復興は長期戦です。いますぐ私にできる事は、募金と節電と最大限に思いやりを持つよう勤めること。そして自分の仕事を一生懸命やる事です。
今のところ予定通り在廊しようと思っていますが、状況に応じて東京に戻ることも考られますが展示は予定通りです。関西の皆さん、ぜひ会場に足を運んでください。